私が営業職だった40年以上前にセブンイレブンと取引を開始
した。
もっとも、メーカーだった私が在籍した企業と直接ではない。
問屋(代理店)を通した取引だった。
もともセブンイレブンでは、私が在籍していた企業の製品を定
番として取り扱ってもらえなかった。
全国定番は、競合他社の製品だった。
九州の福岡エリアでもセブンイレブンの展開が進んできた。
私は代理店を通して定番化の話を地域本部で交渉した。
当然、むずかしい話だったのだが、セブンイレブンはデータを
重視する企業だ。
私が在籍した企業の製品シェアは、福岡エリアで高かったので、
この点で攻めていった。
それでも定番化は、むずかしかった。
あきらめの悪いのが私だ。
それならと、ハーフサイズのケースにした製品(通常製品の半
分を入れているケースだが、通常40個のところ、その半分の
20個入りだ)を本社営業部と交渉して立ち上げた。
コンビニエンスストアは、在庫を置くスペースがない。
可能であれば、各商品が陳列棚にすべて入るのが理想だ。
こんな挑戦をして地域定番化をした。
その話は、これまでだ。
セブン&アイの元会長鈴木敏文氏が亡くなられた。
この方の存在なくして現在のセブンイレブンの繁栄はなかった
だろう。
この方は、構想力があった、と私は思っている。
私が営業職だった1980年代、セブンイレブンが目指す未来
は、すごかった。
公共料金の支払い、各種証明書の取得、航空券などのチケット
販売、リアルタイムの在庫管理等々、私からみれば夢のような
話ばかりだった。
だが、そのような社会が訪れるだろう、という予感と期待を持
たせてくれた。
私が営業職時代、セブンイレブンの端末は、ターミナルセブン
と呼ばれていたのだが、当時、商品発注は専用の端末で店長(
オーナーなど)が手入力をしていた。
しかも、その処理はバッジ処理で夜間に行われていた。
そのような時代だったが、店長(オーナー)からじかに将来構
想の話を聞くことができた。
今、AIの時代だが、まだ先が見えてこないのだが、当時のセ
ブンイレブンの構想は、私でも未来を見ることができた。
それほど私の心の目に訴えかけてくれた。
鈴木さんの構想力の一部は、システムの活用能力のうまさでも
あった。
セブンイレブンほどシステムを活用していた企業はないだろう。
学ぶことが多い企業だった。
さらに、もうひとつの構想力は、商品開発力だ。
おりぎりをはじめ、多彩な商品を世に出してきた。
この二つの能力が際立っていた。
私は、夢のような構想をどのように実現していったかを、まじ
かにみせてもらうことができた。
昭和の人間関係が嫌いだった私なのだが、大きな未来がみれる
時代でもあった。
この点の筆頭は、セブンイレブンだっただろう。
良い経験をさせてもらった。
直接会ったことはないのだが、構想力と、その実現力という点
で、鈴木さんに感謝しかない。
福岡エリアのバイヤーは、毎週、鈴木さんが出席する会議に福
岡から東京へ出張していた。
体を張った仕事をする人でもあった。
バイヤーも体を張って仕事をしていた。
人間としてのエネルギーがある人だったようだ。
バイヤーの言葉から、そう感じた。
ご冥福をお祈りしよう。