日刊ゲンダイに『ドジャースドジャース佐々木朗希の心の瑕疵
…大谷翔平が警鐘「安全に、安全にいってたら伸びるものも伸
びない」』というタイトルで記事がでていた。
そのなかに『「日本ではあのときの佐々木の反応が、山本のや
ったことがいかに驚くべきことかというトーンで報じられてい
るようですけど、問題なのはむしろ佐々木の『マジ?』という
表情の方です」と、米誌コラムニストのビリー・デービス氏が
こう続ける。
「メジャーのポストシーズンは、選手全員が勝利の方向を向い
て一丸となる。レギュラーシーズンの162試合を戦い抜いた後
だけに、体調が万全という選手はまずいません。それでも選手
は最後の力を振り絞って、チームの勝利のために身を粉にする。
ムリをするのはある意味、当然なのです。ドジャースの選手た
ちは中1日でブルペンに行った山本に感謝こそしますが、あそ
こまでビックリはしない。ドジャースベンチで仰天していたの
はおそらく佐々木ひとりでしょう。佐々木のメンタルはまだ、
本物のメジャーリーガーになっていないと思いましたね」』と
いうコメントがあります。
この記事をみて私は自分のことを思い出しました。
ソニー子会社時代、私は管理部門の仕事を理解していくために、
家庭をかえりみることがないほど仕事に没頭しました。
私は当たり前だと思っていました。
36歳になって仕事をなにも知らない新入社員なのですから、
人一倍働かなければ、仕事を覚えることができません。
毎日真剣勝負でした。
そんな姿をみていたのでしょう、当時の社長は、長く私を支え
てくれました。
また、これくらい仕事をやることは当たり前だ、と言われまし
た。ソニーがまだ東京通信工業時代には、こんなものではなか
った、と話をされていました。
人は、どこかで自分をかえる瞬間が必要です。
それはなにもメジャーリーガーだけではありません。
無名の私のような人生のなかにもあるのです。
そのチャンスをつかむかどうかは、常に自分次第です。
人から言われてやるものではなく、自分自身で自分に賭けるの
です。
そこで培われた能力は、簡単に消えることがありません。
いわゆる限界を超える力を体得するからです。
無難に無難にばかりでは、自分を成長させる瞬間を失うもので
す。自分の限界に挑むとは、自分で決断し、自分で実行するも
のです。
マジという言葉はありません。
限界に挑戦するとは、常に真剣(マジ)な行動なのです。

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