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社会生活

個の存在が薄い企業社会

日本企業、日本社会は、個の存在が薄い社会だ、と感じてか
ら長い月日が経ちました。デジタル社会へ転換していますが、
人間が絡む社会は、今だ、旧来の社会性を残したままではな
いでしょうか。それほど変わったようにはみえません。もっ
とも、以前はみえていなかったものが、現在では、メディア
やSNSなどを通してよくみえるようになったともいえます。

それにしても息苦しい社会でしょうか。個の存在が薄い社会
では、忖度などを生み出し、前近代的社会であるという厳し
い指摘があります。個人の自由な意思が尊重されず、過度な
上下関係や暴力とまではいいませんが強い支配欲によってで
きる関係性などがあります。いろいろな関係性をみてきた私
には、このような企業社会で長くいることを望みませんでし
た。とにかく息苦しいのです。

同調圧力(不思議な雰囲気)が強い企業では、息苦しさ、生
きにくさそのものでしょうか。自分の意見が出しにくい企業
では、個人の自由な意見がでません。意見を言っても無駄だ、
と考えているからです。個人の自由な意見を尊重する企業は、
いわせるだけ言わせて、社員の異見が自然にまとまるまでほ
っておくような感じでした。異見が多いほど時間はかかりま
すが、企業が目指す方向性は明確になってきます。勿論、企
業が目指す方向性が決まってからも文句を言う社員はいるも
のです。それでも決まった方向に向けて、多くの社員が自由
な雰囲気をもちながら企業活動は進みます。
さらに、このような企業では、問題が発生したり、課題があ
れば、すぐに集まって修正作業をすることができます。個人
の自主性が尊重されているからです。

異見を言わない企業は、企業が目指すべき方向に関して、そ
の多くを一部の人たちだけで決めていきます。他の社員が異
見をいう場がありません。柔軟性がなく、固定化した方向し
かありません。当然、社員の活用方法も固定的です。「社員
は家族だ」と言いながら、サービス残業を強要したり、高尚
な経営理念とかけ離れた経営活動に社員は疲弊することが多
かったように思えます。
日本社会でも、愛情と称して教師が壮絶な暴力(体罰)を振
るったりするケースはなくならず、オリンピックでは、わが
国だけはありませんが国家のためと、一部の集団が利益を享
受するという恣意的な意思決定がおこなわれています。

このような体質は、わが国だけではありませんが、やはりわ
が国の社会には、今だ多くが残っているのではないでしょう
か。だからこそ、一部の人間は、突っ張って生きるようにな
るのです。私は、突っ張りこそやりませんでしたが、比較的
自分の意見を述べるタイプです。どうしてこのような性格に
なったかは不明です。小学生時代から多くの本を読んでいた
わけでもなく、ただ遊んでいただけですが、学校社会に対す
る違和感だけが自分にはあったように思います。自分は自分
だという感覚は、遊びの主体性のなかで作られたように思い
ます。

同調圧力が求められる社会がどのようにできたのか、むずか
しい課題ではないでしょうか。福沢諭吉、渋沢栄一など多く
の偉人が個人の存在の大切さを述べてきた歴史がありますが、
現代でもなくならないのですから、むしろこれからも続くと
考えて生きていくほうがよいのかもわかりません。
ソニーの井深さんや盛田さんのような経営者が、これからの
時代においても現れてくれることを、私のような凡人は願う
ばかりしかありません。
今、ただただ人生の出会いに感謝するほかありません。

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